ロビン・フッドのような人生を選んだサッカー選手たちの旅路

ロビン・フッドのような人生を選んだサッカー選手たちの旅路



ムサ・オクワンガ(Rabona誌)


才能に恵まれたサッカー選手の中には、世界トップの資金力を誇るクラブからの好条件オファーよりも、よりホームに感じる場所に留まることを選ぶ選手がいる。ムサ・オクワンガはそんなロビン・フッドのような選択をしたサッカー選手の人生を追った。



サッカーのエコシステムの中には、特定のサッカー選手のために用意された特別な場所がある。それは、非常に才能はあるがキャリアのほとんどをその才能に対して十分な条件を満たしていないクラブで過ごす選手だ。 このようなプレイヤーは、ハイレベルな環境でチャレンジすることを恐れ、小さな池で大きな魚として見られたいだけだと批判されることが多いが、それでも私たちは寛大な目で彼らを見るべきなのだろう。彼らはいわば、地元の案件により取り組むことができるよう大手法律事務所からの高額小切手を断った弁護士に相当するのだ。 私たちは彼らのことを「ロビン・フッド・サッカー選手」と呼ぶこともできるように、私たちのゲームは彼らがしばしば立ち去る富と名声のために、はるかに豊かなものになるのである。


バティストゥータはフィレンツェでの時間をとても気に入っていた - 素晴らしい建築が並ぶ街を見て、気に入らないわけがない  - しかし彼のキャリアの道はサッカー界の未来を垣間見せた。主要な大会のトロフィーを獲得できるチームが年々限られてくる中、選手たちは正当な評価を得られる他の場所を探すこともあるかもしれない。 何人かの選手にとっては選択肢はシンプルに2択になる。巨大なクラブで大勢いる選手の一人としてくすぶるか、それとも小さいクラブに留まり何か特別なことを成し遂げるか。




マット・ル・ティシエはバティストゥータより一足先に、オールド・トラッフォードや海外での可能性を選ばず、サウサンプトンで全経歴を過ごした。彼のプレーで格下げの危機を何度も回避することができたこともあり彼は常に中心的な人物であった。最終的には数えきれないほどのアシストと540ゲームで209ゴールという記録を残し、選手人生を締めくくった。バティストゥータのように、彼は伝説を作るために生まれ故郷を離れ冒険を選び、そしてすぐに快適なホームを見つけた。


自分自身を表現するのに最適であると感じる場所から去らないことを選択した選手たちに対して、やみくもに批判的になるべきではないのかもしれない。 レアル・ベティスの天才であるホアキンや、同様に素晴らしい才能を持ったホセ・アントニオ・レジェスも、他のクラブに移った際、このような成功を収めていない。 彼らの中には、アスレティック・ビルバオのフレン・ゲレーロのように、チームで高みを目指すために留まるという賭けをする選手もいる - そういったケースの中には、フランチェスコ・トッティのように大成功を収めた選手もいる。


ある意味、家の芝生に留まる時にリスクはより大きくなりうるということだ。あなたの家族が生涯にわたるサポーターであり、また成長させてもらったクラブに残るということは、ほとんどの人から理解してもらえない、また一人では負えないような責任を伴う。ディエゴ・シメオネとアトレティコ・マドリードを結びつけ、またフアン・セバスティアン・ベロンをエストゥディアンテスに留めさせるのも、同じ深い忠誠心である。 シメオネとベロンは、選手またはマネージャーとして、チームのロビン・フッドとしての役割を担っていた時期があった。そしてその過程で、おそらくより困難ではあるが、それでもなお歴史に残るような夢中になれる道を選んだ。確かにバティストゥータ、ル・ティシエ、トッティが尊敬されている様子をみると、おそらく彼らの選択も最もやりがいのある旅だったのだろう。

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